バイオリン

MBTIやエニアグラムに関する哲学的な考察及び、日々考えたことについて

γクアドラの世界認識

γクアドラ=NiSe×FiTeの世界認識は一言でいうとニーチェ的世界観を呈します。

この世界は不変であり、かつ固有名詞的=この現実がこの現実である事実そのものであると直観知覚するわけです。

 

ニーチェ永劫回帰という概念を提唱しています。この物質的な世界もしくは現実世界が永遠に全く同じ様相・状態でループをし続けるという世界観です。

その世界に本質的には「変化」は存在しません。あるのは「瞬間」と「永遠に変わらずにそこにある現実そのもの」です。例えて言うならば、「ループする映画」に近いでしょう。映画はそのフィルムに刻まれた現実を流しますが、そのフィルムがループしたらそこに本質的に変化はありません。

 

物質的な不変性というとイメージがわきずらいかもしれませんが、βクアドラの世界認識である可能世界論(様相実在論)と比較するとわかりやすいかもしれません。ここでいう可能世界論とはこの現実というのは可能世界のうちの一つの選択肢に過ぎないという考え方です。

 

一方でγクアドラは可能世界というのはあくまでも「現実という基盤の上での便利なツール」としてしか存在を認めません。可能世界というのはあくまで現実をより豊かに認識するための便利なフレームワークに過ぎないのです。

 

これは究極的には数学と物理どっちが先にこの世界を支配しているかという古来からある抽象と具体の卵と鶏の話にも近くなります。ここでγδクアドラは物理を先行するものとして考え、βαクアドラは数学と考えるわけです。

 

よってγクアドラの世界観にいると、時間の浪費をとてつもない損失だと考えることでしょう。なぜなら一回限りのこの「生」しかこの宇宙にはなく、それを補填する「あの世」はあり得ないからです。あの世は物質的な世界観を基盤とする限り人間のルサンチマンに過ぎないと考えることでしょう。なので力強く情熱的な世界観にもなり、βαクアドラと違ってどこかウェットな印象を受けます。